圓徳寺のご紹介


勤行の風景

写経風景

正信偈(しょうしんげ)

昔から真宗門徒であれば慣れ親しんできたお勤めですが、だんだんと手を合わせる機会が減ってきた現代において親しみが薄れてきているように感じます。
唱えること書くことを通して今一度正信偈に込められている願いと受け伝えてきた人々の思いを知り、感じていただければと思います。
正信偈の内容について住職なりの受け取りではありますが少しお話もさせていただいています。
どなた様でもご参加いただけますのでよろしくお願いします。

英会話教室の風景

住職ご挨拶

第16代圓徳寺住職を勤めております佐藤亮一です。僧侶になって11年、圓徳寺住職をさせていただいて4年となります。
もともと在家の出身です。人間関係の悩みから常々生きづらさ抱えていましたのを縁に30歳の時に仏門に入りました。
 その後ご縁あって圓徳寺の前住職の養子となり4年前に住職を交代し現在まで勤めさせていただいています。
 僧侶になってこの11年念仏の教えの本その場その場にお育ていただき歩んでまいりました。
 とくに圓徳寺に入りお寺で生活をさせていただく中で感じるのは手を合わせる事の大切さです。何か手を合わせるという行為は人間の根本にある願いの表現であるように感じます。人の営みの象徴的行為のように最近つくづく感じております。
 そう感じさせていただいたのもお寺という場が持つ力です。
 この場の持つ力をもっともっとたくさんの方に感じていただきたくご縁を広げていきたいと願っております。               

                            (2023年6月)

ジェシー 釋萌海(しゃくほうかい)ご挨拶

日常生活の中、出逢えるものによって見えてくる世界があり、感じるものがある。

「The true disciple is the person who discovers the reality in Amida’s working in his/her life」

阿弥陀のはたらき、呼びかけを日常生活の中で発見できる者こそは本当の仏弟子である。

「Shinjin is the experience of Awakening」

このような身の事実に心から目覚めてほしいという呼びかけが私に届いた時は信心を得る瞬間だと、そうであれば、やはり本を読むだけではそのところに到達できないでしょう。

日常的にあるぶつかり合いによって見えて教えられるものがあり、自分の在り方が明らかになります。

「The life of a truly religious person is a continued self-reflection into the self. 」
その意識を持ちながら歩み続ける事が大切だと教えられています。

また、善知識との出逢いによって見えてくるものもあります。
善知識は師一人の存在とは限らず、日常生活に出逢っている全てのものです。それに気付くかどうかは、私たち次第です。

「By listening, we come to see the teachings in our everyday life, all around us. Everyone and anything can be a teacher to us, if we have the heart and mind to listen, and to learn, and to receive. 」

仏さまが私に願いをかけてくださっている。日々お念仏と共にその願いに触れて生きる。それが「礼拝」という私たち真宗門徒の生活の実践である、と、西福寺のホームページの言葉に感動しました。

人生を根底で支える言葉がある。それに出会われた方の人生や言葉に、自身を教わりながら人生を歩む。それが「聞法」という私たち真宗門徒の生活の実践であると。

この事を意識しながら、これからも歩んで行きたいと思います。
今年は沢山の出遇いをさせて頂いたこと、皆さんに感謝しています。

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